「過激派」の文化財破壊を笑えるか・・・

 4月23日のNHKクローズアップ現代で京都清水寺の新しい絵巻が完成したことを取り上げていた。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3646_1.html

 清水寺は、民衆と深く結びつき、何度も焼失しながら民衆の力によって再建されたことが語られていた。清水寺の危機のひとつとして、幕末から明治にかけての「維新の志士」たちが推し進めた「廃仏毀釈」により、寺の維持が困難になり、寺の縁起絵巻を売却する、清水寺の舞台が傾いても、修理もできないという危機が訪れた。
 そのときに、人々が資金を出して丸太などの資材を寺に運び込み、修理を行ったことが紹介されていた。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3646_4.html

 明治維新のときに、「仏教が、日本の伝統を壊した。『日本古来』の神道に還るべし」として、多くの寺院が、「志あるフツーの人々」によって、破壊され、経典は焼かれ、仏像も売れるものは外国に売り売れないものは、焼くということは、全国で行われました。
 これを憂ういた岡倉天心の様子がこちらに紹介されています。
  http://waratte.nosmilenolife.jp/edn/edn080813.html

 私も、「廃仏毀釈」がったということは知識として知っていましたが、それがどのようなものだったかということは、深く考えたことはありませんでした。

今回、とりあげようと思ったのは、ここのところ、寺院で仏像を見てまわっていると必ず、仏像の受難の話として、明治の廃仏毀釈が語られるからです。
河津町の南善寺の重要文化財 薬師如来像。伊豆の国市の願成就院の国宝 阿弥陀如来不動明王毘沙門天像。
函南町仏の里美術館の重要文化財 阿弥陀如来像、両脇侍像。
これらが天災や戦乱といった時間に流れに耐えて、今、ここにいるだけでなく、仏像を狙って壊そうとするたくらみから、守られてここにいるのでした。

 テレビでイスラム「過激派」IS(イスラミック・ステイト、イスラム国)やタリバーンの遺跡破壊の映像を見て、「なんだかなー」と思っているだけだったけど、140年前の自分の祖先も同じことしていたんだと思うと、この遺跡破壊のニュースを日本で再びあってはならないことと結びつけて考えなくてはいけなかったんだと痛感しました。

ネットで調べると、静岡県やほかでも多くの事例があります。

静岡市文化財通信 ふちゅ〜る第3号 2010年7月23日発行

建穂(たきょう)観音堂 不動明王立像 平安時代 県指定文化財
かつてこの地には建穂寺というお寺があり、伝承によれば飛鳥時代後期に道昭によって開かれ行基が中興したといわれ、久能寺(くのうじ 現在の鉄舟寺)とともに駿河を代表する寺院として繁栄しましたが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となりました。残された仏像は町内会により建てられた観音堂に安置され、地元の方々により大切に守られています。
(信仰する地域の人々が仏像を運び出して隠し、守った事例は、各地に見られます。引用者注)

松岡正剛の千夜千冊」 1185夜『廃仏毀釈百年』佐伯恵達
http://1000ya.isis.ne.jp/1185.html

「エッブリデイだよ、エッブリデイ!」 幕末明治期における神仏分離廃仏毀釈 ー鎌倉・鶴岡八幡宮を例にとってー
http://torubadour.exblog.jp/13153054/

「深層歴史学の世界」 125.関東の秘密?つくばエクスプレス
http://pentacross.seesaa.net/article/391806645.html