日本学術会議幹事会、これからの人文・社会科学と大学のあり方に関する声明を公表

2015年7月23日、日本学術会議幹事会は「これからの大学のあり方−特に教員養成・人文社会科学系のあり方−に関する議論に寄せて」という声明を公表しました。この声明は、2015年6月8日に文部科学大臣から各国立大学法人へ行われた通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」に対するものです。

その通知では、国立大学法人の組織の見直しに際して「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」とされていますが、このことが日本における人文・社会科学のゆくえ、並びに国公私立を問わず大学のあり方全般に多大な影響を及ぼす可能性があると指摘しています。

7月31日には、公開シンポジウム「人文・社会科学と大学のゆくえ」が開催されます。


幹事会声明「これからの大学のあり方−特に教員養成・人文社会科学系のあり方−に関する議論に寄せて」を公表いたしました。(日本学術会議、2015/07/23)
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-kanji-1.pdf
http://www.scj.go.jp/en/pdf/kohyo-23-kanji-1e.pdf
※2つ目は英語版です。

参考資料1 国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(通知)(文部科学省 第3期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会(第10回)配付資料)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/062/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/06/16/1358924_3_1.pdf

日本学術会議
http://www.scj.go.jp/

文部科学省 第3期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/062/index.htm

公開シンポジウム「人文・社会科学と大学のゆくえ」(7/31・東京)
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/215-s-1a.pdf

カレントアウェアネス・ポータル 国立国会図書館 から転載http://current.ndl.go.jp/node/28990

稲取高原 芝生広場(ツリーハウス周辺)

東伊豆町クロスカントリーコースに、7月1日に稲取高原芝生広場ができました。

遅ればせながら行ってきました。

クロスカントリーコースのスタート地点は、これまでも、芝がはられていて、両側に桜が大きく枝を張り、直線で400m、向こうに緑の丘と青空が広がる、すがすがしさです。
それが、桜が咲くと、一転こんなに華やかになります。

そのスタート地点の海側の一段下がったところに、平成24年に整備されたのが、ツリーハウスです。



今回は、そのツリーハウスの周りに、芝生広場と水遊びができる流水やゴムの綱でできたピラミッド型のジャングルジム、休憩所などができました。

ほかに遊具もあるので、子供が遊ぶのを見ながら、木陰のベンチに座り、渡る風を受けると、ちょっとしたリゾート気分も味わえます。
稲取高原新名所 「親水広場」完成! 東伊豆町かわらばん

ツリーハウスからの眺めは、こんな感じです。

  

  
 

東伊豆町クロスカントリーコースのようすは、「オレンジクッキー」さんのブログ 「東伊豆生活」から、どうぞ。
http://blog.naoshi.main.jp/?eid=265

バルカン半島からブラスバンドの風

Boban i Marko Markovic Orkestar - Golden Horns:The Best of Boban i Marko Markovic Orkestar
ボバン&マルコ・マルコヴィッチ・オーケストラ

ブラスバンド 
ポピュラーミュージックのなかで紹介されるようになったのはいつごろからでしょうか。

ラテン、ソウル、レゲエなどでブラス=ホーンが大きな活躍をしています。
自分は、あまり聞いてこなかったけれど。ジャズ、特にデューク・エリントンベニー・グッドマンなどのビッグバンドジャズでもブラスは、主役を張っています。

でも、ブラスだけで構成されているのは、アメリカ南部のデキシーランド・ジャズぐらいしか知りませんでした。
南部の黒人の葬送の行進などでブラスバンドが加わることが多く、生活のなかにブラスバンドがあったこともあり、大衆音楽のなかにブラスバンドが加わってきたのだと思います。

1980年代には、ダーティ・ダズン・ブラスバンドなどが活躍し、私も聴いていました。

でも、バルカン半島などの東欧に、ブラスバンド文化があるとは知りませんでした。
TV番組 なるほど ザ・ワールド で紹介されたトルコ軍楽隊の演奏する「トルコ行進曲」(モーツアルトではなく、こちらが元祖)は聞いたことがありました。
http://www.youtube.com/watch?v=kpOl4kxgD1c
この歴史的な流れをくんでいるようです。

バルカン・ブラスとは?  http://fuyu-showgun.net/2013/08/balkan/

 ヨーロッパ、バルカン半島の東欧諸国を中心に独自の音楽性を持つブラスバンド形態。アメリカのきらびやかなブラスアンサンブルとは違い、変則リズムとどこか民族的要素、土っぽいものが多い。
 元々はオスマン帝国時代より音楽が盛んだったセルビア人の軍楽隊が休憩時間に民謡を演奏していたのが始まりと言われ、その後、移動民族“ロマ民族”がジプシー・ミュージックをもたらし、トルコ軍楽隊の影響もあり、それらの音楽が融合し発展したと言われている。
(今は、「ジプシー」には、「流れ者」といった差別的な意味を含むとして、使われなくなっています。)

現代、バルカンブラスの雄 ボバン&マルコ・マルコヴィッチ・オーケストラのベストアルバムを聞いてみました。ヨーロッパ・クラシックと異なる音楽性、アフリカとも違う変拍子、和音など刺激がいっぱいです。

ファンク、レゲエなどほかのポピュラー音楽からの香りも取り入れられていて、思わず、顔がゆるみます。
楽しい音楽がメジロオシ。

Golden Horns:The Best of Boban i Marko Markovic Orkestar (2012)

01 - Khelipe E Cheasa

02 - Mundo Cocek

03 - Sina Nari

04 - Voz

05 - Rromano Bijav

06 - Od Srca

07 - Udri Mile

08 - Sljivovica

09 - Dzumbus Funk

10 - Hava Naguila

11 - Sat

12 - Obecanje

13 - Ederlezi

14 - Cinnamon Girl

15 - Go Marko Go (Robert Soko remix)



こちらに、詳しい紹介がありました。
BS朝日 LISTEN.
http://www.bs-asahi.co.jp/listen/prg_005.html

箱根の噴火など

箱根山 ここのところ地震が落ち着いていたので、このまま終息していくのかとと思っていました。
しかし、大涌谷周辺の地盤の隆起が続いていたので、もしかしたら、ふたが外れるような感じでなにかおこるかもしれないとも思ったりしていました。(95%は、終息と思っていましたが…)

 昨日までの地震の回数は少なくなって、震源分布もまばらになっていました。
このくらいの噴火は、前触れなく起こるのだ、マグマの移動を伴わない水蒸気爆発もきっと、前触れは、ないことが普通だろうと考えるべきだと改めて思いました。

最近、気になることがたくさんあり、頭の整理が追い付かないでいます。

安保法制について、元内閣法制局長官の阪田雅弘さんの書いた「政府の憲法解釈」を購入して勉強中。
 しかし、時代は、変わったと感じます。
 かって憲法をおさらいするのに使っていたのは、「新しい憲法のはなし」(1946(昭和21).11.3日に発布され、1947(昭和22).5.3日に施行された日本国憲法の公布に伴い、その10ヵ月後の1947.8.3日に時の文部省によって中学1年生向け社会科教科書。物資不足の中2000万部が印刷された。)では、戦力、軍隊を明確に否定していました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

 内閣法制局は、その精神を、都合よく踏みにじるもの、と感じていました。それが今、そのよって立つ立憲主義さえもおろそかにするような人々が大声をあげ、法制局長の本で再勉強することになろうとは!!

静岡県沼津市の高尾山古墳の道路拡張に伴う破壊について
卑弥呼時代の東国最大規模の前方後方墳。その意義が明らかになりつつあるところでの取り壊し計画。
 縄文時代、伊豆には、神津島の黒曜石の加工流通基地(河津町段間遺跡)があり、一時、関東一円のほとんどを占めた。
 東日本は、縄文時代には、広く交易が発達しており、卑弥呼の時代に、大王クラスの古墳が造られる下地はあったと考えられるのではないか。などなど。

ギリシャ債務不履行問題と日本の巨額赤字の行方について

日本人の起源について
男性のDNAの特徴は、古い時代の特徴あり、チベットアンダマン諸島に近い。日本語も周辺の言語と違っている。
移動しながら、始原のの地域では消滅してしまったのだろうか。
分かってきた縄文人のDNA http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/05/0529.html

いろんなことをはっきり知るには時間がかかります。

ドナルド・キーン講演会

 下田市にある上原近代美術館の開館15周年記念として、ドナルド・キーンさんの講演会があったので、出かけてみた。

 御年、93歳のキーンさんは、30分ほどの講演だったが、誠実な人だと感心した。
「 下田と私、そして美術 」という演題のために、原稿をしたため、それを、読んでいくという形で講演は進んだ。
 自分としては、演題から外れても、いま、キーンさんが興味のあることを自由に語ってくれればよいと思っていたが、紹介してくれた方の顔を立ててか、そこから外れることはなかった。
 
 子供のころに行ったニューヨークの美術館の話で、エジプト美術のエリアでミイラに出会って、以来エジプト美術に興味が持てなくなったこと、コロンビア大からイギリス、ケンブリッジ大に赴任し、市民向けに日本文化の講演会を開いたら、250人の会場に10人しか集まらず、うち3人は、下宿先の大谷さんと関係者で、このあと、「もう日本の学問はやめて、ロシア語を学ぼう」と思ったが、自分の頭は、ロシア語に向いていなくて、ちっとも覚えることができまかったことなど、を披露し、笑いを誘い、場を和ませることも忘れなかった。

 キーンさんは、日本語を学ぶために、海軍に入隊し、第2次世界大戦にも日本語通訳として従軍し、日本の兵隊たちの残した日記の翻訳、整理を行い、情報をあげていた。極限に状況で、日本の兵士たちが書いたものは、キーンさんの心の中に大きく残ったそうだ。彼らを、日本の最初の親友と呼んでいらっしゃった。
 上海で終戦を迎えたとき、陶磁器の収集家でもあった日本人の知り合いから、日本に持っていけないからと陶磁器を一つ選んでもらった。それから、陶器への興味が始まり、戦後日本への留学、各界の人々との交流のなかで、三島由紀夫と懇意になり、普段家族と団らんすること少ない三島さんが、夏だけは、家族と一緒にその下田のホテルに逗留していた彼をよく訪ねたとうことでした。
 これは、彼が自殺する年の夏まで続いたそうです。彼と会った最後の夏は、「何か違っていた。」と、語っていました。三島さんとは、「じくじくしたことは、語らない。」仲だったそうですが、その夏だけは、「何か心配があれば、言ってほしい。」と言ったが、「彼は、何も言わなかった。」そうです。
 三島さんの自殺で、「私は、友人を失い、日本は、世界に誇れる芸術家を失った。」それ以上、キーンさんは語りませんでした。

 次の下田とのかかわりは、陶器でした。
 池袋西武本店で開かれていた土屋典康さんの個展で、その作品に惹かれ、交流が始まり、毎年下田を訪れるようなったそうです。

 下田も、自分たちの知らない多くの交流の場になってるのだと知りました。

小笠原沖地震の不思議〜海洋研究開発機構のコラム

 6月1日の日記で、「5月30日に発生した小笠原諸島西方沖の地震は、めったにないもので、専門家の解説をお願いしたい。」と書きましたが、

 海洋研究開発機構の 地球深部ダイナミクス研究分野  大林 政行 主任研究員によるコラムが、12日にアップされました。
小笠原沖地震の不思議
http://www.jamstec.go.jp/j/jamstec_news/20150612/

 神戸大の石橋教授の「よくある地震」という、当初の見解(その後、修正)には、少しめげましたが、大林さんのコラムでは、プレートテクトニクスの現段階の「常識」が、わかりやすい資料で解説されています。
 また、同じ太平洋プレートの沈み込みでも、日本周辺とトンガでは、沈み込んだプレート(スラブ)の行き止まって滞留する部分(スタグナントスラブ)の深さが違うことなど、新鮮な知見もありました。
 地下で滞留したスラブ(スタグナントスラブ)の動きの把握にこの地震が寄与するのではないかと思っています。また、それが、その下の下部マントルの動きと上部マントルとの関係(下部マントルの上部マントルへの湧き上がり=プルームなど)にも発展しそうで、さらなる解析が待たれます。

 地球科学が、また、楽しくなってきました。


 

Judy Mowatt - Only a Woman(1982)

唐突にレゲエの30年前のアルバムを。

 1970年代、レゲエを聞き初めるきっかけは、エリック・クラプトンなどの一部のロックのミュージシャンが、取り上げたことが大きいと思いますが、なんといっても、ジャマイカアイランド・レコードがイギリスに進出し、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズやジミー・クリフを紹介したことが大きいのではないでしょうか。
 従来のロックに飽き足らなかったリスナーに、ドラッグや事故で多くのミュージシャンを失い、霧散しようとしていたカウンター・カルチャーを引き継ぐ者、現状に抗議し、台頭する第三世界の雄のイメージを与えていましたし、何より、ボブ・マーリーの嘆きと抗議、挑みかかるような歌声。ベースのリフに裏打ちのリズムを刻むエッジのたったギター。クールな男性コーラス。
 ロックと異なる音に驚いた人も多かったと思います。 自分もその一人でした。
 
 そこは、また、紹介するとして、ザ・ウェイラーズは、ボブ・マーリー、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーのトリオだったのですが、海外公演などの活動の仕方を巡る意見の違いにより2人が抜けていまいます。そのあとのコーラス隊に、リタ・マーリー、ジュディ・モワット、マーシャ・グリフィスが、I(アイ)・スリーズとして加わります。

 しかし、ボブ・マーリーは、癌を患い1980年に生前最後のアルバムをリリースし、1981年に36歳で死亡してしまいます。
 ボブ・マーリーたちは、ラスタファリズム(アフリカ回帰主義に基づく精神文化)とともにレゲエ=音楽活動を行っていましたが、その頃、世界に広まっていたレゲエは、甘い歌謡曲ダンスホールスタイル(ひねった歌詞をリズムに合わせて言い放つ ラップに近い)など多様化していたのです。
 
 アイランド・レコードは、ボブ・マーリー亡きあと、これをどう引き継がせようかと思ったのでしょう(想像) I・スリーズの才媛ジュディ・モワットに、アルバムをリリースさせました。
 この「Black Woman」(1980年)は、レゲエの女性シンガーのアルバムでも白眉だと思いますが、ブラック・コンテンポラリーなジャケットは、アイランドが、抵抗者であり続けたマーリーに代わって、ジュディに新たなリスナーを得させようとしているのだ、とアルバムを買った私は思ったものでした。

 マーリーの教えの忠実だったジュディは、どう思っているのだろう、そんな余計なことを考えたものでした。

 その答えは、2年後に発売されたこのアルバム「Only a Woman」にありました。
そのジャケットには、マーリーやラスタファリアンが愛用していたドレッド帽子をかぶってまっすぐな視線を放つジュディがいました。

 アイランドの売り方にのらず、自分の道を行くことにしたんだ、そのアルバムを手に、そんなことを考えました。
 そんな、あの頃を思い出したので、ちょっと紹介してみました。

Judy Mowatt - Only a Woman(1982)
1 You're My People  試聴
2 Only A Woman   試聴
3 Trade Winds  試聴
4 Think  試聴
5 Got To Leave The West (Secret Santana Tapes)   試聴
6 I Am Not Mechanical  試聴
7 On Your Mark   試聴
8 Big Woman  試聴
9 You Don't Care  試聴
10 King Of Kings  試聴