信州大入学式「スマホやめますか」

伊豆新聞のコラムに「禿同」!!

 ことの発端は、朝日新聞が、4月5日に
スマホやめますか、それとも信大生やめますか」。信州大の入学式が4日、松本市総合体育館であり、山沢清人学長は、8学部の新入生約2千人に、こう迫った。
http://www.asahi.com/articles/ASH44578MH44UOOB007.html
という記事を配信したところから始まっている。

 そして、NHKも 学長が入学式で「スマホより読書」 学生の反応は のタイトルで、4月6日のニュースで放送。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150406/k10010040101000.html

 ネットなどで、話題となり、(一部で炎上?)ワイドショーでも取り上げられることに。
フジテレビ系「とくダネ!」では、「スマホやめるか 大学やめるか?」のタイトルで、小倉キャスターがとりあげた。
渋谷で30人の大学生にアンケートした結果を放送した。
http://blog.fujitv.co.jp/tokudane-official/E20150406001.html

 私も、NHKのニュースを見ていたが、国立大学の学長が、こんなに単純に二者択一を迫るだろうか?
 というのが、最初の感想で、学長のあいさつの全文を読みたいと思っていました。
平成27年度入学式学長あいさつ (2015年4月4日)
http://www.shinshu-u.ac.jp/guidance/president/notification/entrance.html

これを読んで感じたことは、以下の伊豆新聞のコラムと全く同じでした。

伊豆新聞 2015年04月09日
潮の響=スマホやめるか大学やめるか
http://izu-np.co.jp/column/news/20150409iz0002000101000c.html
 「スマホスマートフォン)やめるか大学やめるか」−。こんな“衝撃的”な見出しが、今週はじめの全国紙に躍った。長野県の名門、国立信州大の山沢清人学長が、入学式で大学院を含む約2900人の新入生に向けて発した言葉。朝の情報番組でも取り上げられたため、目にした人も多いことだろう
 ▼式辞の真意を知りたくて同大ホームページを開いたら、全文が掲載されていた。スマホの件[くだり]は、次のような文章の一部だった
 ▼学長は、同大の自然に囲まれた緑豊かなキャンパスは知的にものごとを考え、創造的な思考を育てる環境だが、昨今は信州でもモノやサービスが溢[あふ]れ始め、その代表例が携帯電話−と前置き。「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません」と話し、見出しの言葉となった。「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」(引用者 補足)
 ▼学長は続けて「スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます」と話した
 ▼とかく悪者にされがちなスマホだが、学長の言葉はスマホではなく依存症的な若者に向けた苦言だろう。「捨てて」ではなく「スイッチを切って」に表れている
 ▼親が息子や娘に言いたいことを、説得力ある言葉で代弁してくれた思いだ。中学・高校生にもあてはまることで、スマホとの付き合い方を考える機会にしてほしい。

学長のこのフレーズは、1983年に日本民間放送連盟が制作した 公共広告 覚醒剤撲滅のCMキャンペーン
覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」
  に なぞらえたものでることは、私たちの年代では、すぐにピンときます。
当時、人間やめるか という問いかけが、そこまで言うかという意外性で話題になりました。
これです。
https://youtu.be/haSnNDsfOhY
懐かしい・・・

 それは、さておき、
ここまで、ネットを通じて、話題になったのは、朝日新聞の記事の書き方にあるでしょう。

 紙の新聞であれば、見出しで惹きつけて、記事を読ませる、というスタイルが通用するでしょうが、
 今や、ネットの時代。
 yahooニュースに表示される見出しだけ読んで、すぐに反応してしまいます。
学長の入学式のあいさつの全文を確認するどころか、記事を全て、読んでもらえるかも怪しいものです。
 さらに、ネットでは、インパクトのある見出しは、掲示板、ツイッターなどで、拡散していきます。
 見出しだけ読んだ方向違いの反応に、それを読んだ人が、事実の確認なしに、自分流の解釈でまた反応する・・・それを読んだ人が・・・
と続いていくうちに、最初のメッセージと違うことが、事実であるかのように広まってしまいます。

 これについては、山本一郎さんのyahooニュースでのコラムに、「禿同」です。

「報道メディアによる炎上燃料投下が目立つ時代になりました」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150406-00044589/
 6日の17時にこの内容をコメントできるのは、普段からメディア(ネット)リテラシーがしっかりしているからだと、感心しました。(先ほど、ネット検索から、みつけました。)

 もうひとつ、大学の式典でネットリテラシーについて示唆に富むあいさつがあったので、紹介します。3月25日にあった東京大学教養学部の卒業式での石井洋二郎学部長のあいさつです。

 石井学部長が取り上げたのは、1964年に東大総長だった大河内一男さんの卒業式の式辞です。「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」と発言したとされています。
 これは、「世間の塵埃にまみれ、真理の追究に目をつぶり、経済的な成功を追及するよりも、学問の探求心を忘れることなく、真理に向き合い、そのために、経済的に不遇をかこつことを恐れてはならない」というアカデミズムの精神を表現した名言であると思います。

 しかし、これは、大河内学長のオリジナルではなく、イギリスの哲学者 J・S・ミルの引用だったこと。原稿には、J・S・ミルの引用を明記した上で書かれていたが、実際には読まれなかったこと。そして、原文とは、かなり違ったニュアンスの表現になっていたこと。この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっていると、紹介しています。

 続けて、「皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。

 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。

 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。」としています。

 いまの時代、改めて、あり余る情報から自分で判断する力、本来の意味での「教養」の大切さを痛感します。

東京大学教養学部 卒業式 石井学部長あいさつ 全文
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/message/oration/

 今回の「スマホやめるか大学やめるか?」ネタは、結果的に、「信州大の学長は、スマホの利用を否定し、時代に対応できていない。」という、マイナスのイメージを流布させました。

 いまどき インターネット携帯端末の利用を否定する人物がそんなにいるとは思えない。チャットや、ゲーム、無用のネット閲覧などに引き込まれやすい道具だから気をつけなさい、と言っているだけなのだ。

 まして、せっかく入学した大学とスマホの選択を迫るなんて、問いかけ自体がどうかしている、と思うのが、普通の感じ方ではないのかな?

 最後に、「とくダネ!」の菊川 怜さんに激しく同意です!

スマホをやめるか 大学をやめるか?」
小倉 「怜ちゃん、こう言われたらどうですか?」
菊川 「いや〜、ちょっと悩んじゃいますよね」
小倉 「エェッ『悩んじゃう』!?普通スマホやめない?」
菊川 「…あ、そっか。そうですよね」  (かわいそうに、無理やり同意させられちゃって…)
小倉さん、ごめんなさい。わたしも、戸惑って、「う〜ん・・・」と、うなっちゃいました。

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